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ラルフ・アバークロンビー (軍人) : ウィキペディア日本語版 | ラルフ・アバークロンビー (軍人)
サー・ラルフ・アバークロンビー(Sir Ralph Abercromby(またはAbercrombie)、1734年10月7日 – 1801年3月28日)は、イギリス陸軍中将、バス勲爵士(KB)。ナポレオン戦争での活動によって知られている。 == 生い立ち == スコットランドのクラックマナンシャイア州、タリバディ(Tullibody)に、ジョージ・アバークロンビーの長男として生まれた。ラグビー校とエディンバラ大学で教育を受け、1754年には、スコットランドの弁護士となることを目指して大陸法を学ぶためにライプツィヒに留学した。 しかし大陸から帰ったラルフが強く希望した職業は軍隊であった。そして1756年3月、コルネット(cornet、最下級の士官)の階級で第3近衛竜騎兵連隊(3rd Dragoon Guards)に入隊した。彼は連隊とともに七年戦争に従軍し、そこでプロイセンのフリードリヒ大王がどのように軍隊の性格を組み立て、どのような戦術を編み出すかを研究する機会を得た。昇進を重ねて1773年には連隊中佐(lieutenant-colonel of the regiment)となり、1780年には大佐心得(brevet colonel)となった。1781年にはキングズ・アイリッシュ歩兵連隊の大佐となったが、連隊は1783年に解散され、ラルフは半額給の休職となった。 この時にいたるまで、彼は実戦にはほとんど参加していなかった。それは主に政府の方針に不賛成であったことと、特にアメリカ植民地の独立のための戦いに共感を寄せていたことによるものだった。現役を退いたのも同様な気持ちからであることは疑う余地がない。軍を去ったあとはクラックマナンシャイアとキンロスシャイアの議員としてしばらく政治活動を行ったが、彼にとってそれは面白いものではなかった。そして、兄弟の賛同を得てそこからも身を引き、エディンバラに落ちついて子供たちの教育に専念した。
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